2021年4月27日  五反田三井アーバンホテルにて 摩周先生のお話その2  BODY・MIND・SOUL

2021年4月27日  五反田三井アーバンホテルにて

摩周先生のお話その2  BODY・MIND・SOUL

M ちなみにマシューは今、Cカップになりました。
目指せDです。あのね、豊乳に関してはコツがあるんです。胃の拡張です。
胃の拡張をして、ちゃんとしたそれ用の食事を摂り、それ用のホルモンを刺激すると、CカップからDカップに復活できます。
C・・すごい。そして、世の中には、太れない人というのもいますね。
M体感的には、一割から二割の人がそうです。
C 「チエちゃんと暮らそう」という会を作ったら、みんな太れます。
M 10日でみんな、帰って貰えますね(笑)
C 卒業が速い(笑)
M もう、いいんじゃない、と(笑)
あとは、体脂肪率を維持しながら痩せなければいけないという時は、どうするのという話です。これは、できる人はあんまりいないんです。この間もマシューはコンビニスイーツで。
C そうでしたね。桜餅を。
M 桜餅どころか。この間も空也くんに御裾分けしたら、なんで、こんなに甘いものばかりいっぱい持っているのかと。だから、真面目にやっているんですよ。
コンビニスイーツを使って、体脂肪を上げながら体重を下げていました。
C そんなことができるんですね。
M できるんです。それは、いかにして体の水分を排泄するかがポイントになってきます。
C あの、日本酒を飲みながら、体重を落としていくという方法は。
M できます。できるんだけど、かなり無茶ですね。でも、楽しみながらできちゃう。全然できちゃう。だって、コンビニスイーツでもできるんだから、日本酒だったら、もっとできちゃう。相反する陰と陽くらいかけ離れている成果を、同時多発的に身体に出現させるスキルがあるわけですね。この世の中にはね。それを実践して今回やってみたんですけど。なかなかね、簡単なのに技術って大事だなと。たとえば、これをFBで教えちゃうとみんなやるでしょう。そうすると、脱水症状で死んじゃう人もでるかもしれないから、教えられない。
C 細やかじゃないといけないということですね。
M そうですね。自分の身体と対話できるということがわかっていないと教えられないし、
そもそも指導者としてちゃんといろいろ理解していないと。だから、これはライセンス化して、しっかりとした知恵として授けたいなとは思っているんです。ただ、今、喋っている内容は、今これを喋ったからといって、やり方がわかるわけではないので、全然まったく気にしていません。とりあえず、脂肪を上げて、体重を落として、肌をピチピチにしながらウエストを作っていったり、お尻をふくよかにしながら足を細らせたり、こういう夢のようなダイエットができちゃう。
C デザインですね。
M ボディデザインですね、ボディメイクともいいますね。それもこれも、あれもこれも、ダイエットですね。ものを食べる、食事をするというのは身体を代謝させるためのスキル、それがダイエットです。痩せるって言葉ではないんですね。ダイエットの定義というのは、この間も書きましたが、とにかく、<自分の身体が持っている自分の設計図通りに、理想に近い体型や体重に持っていくこと>をダイエットとジュジュべでは定義していますね。でも、そこから、先に進んだボディメイク、ボディスカルプチャーと海外では言いますね。
それをするためには、若干無理しないといけない。サスティナブルではないですが、ただ、やった時には自分の理想が手に入るということで、魂はめちゃくちゃ喜びます。
そのかわり、マインドは大変、ボディも大変。
ジュジュべで治療をするときは、ボディとマインドとソウルの治療をするわけですけど、たとえば鬱とか。そもそも鬱というのは、ボディの鬱、マインドの鬱、スピリットの鬱というものがあるんです。そこをちゃんと理解しないのなら、精神科医なんてやめたほうがいい。彼らの仕事は薬を飲ませて、その人をただ単に社会に迷惑をかけないようにするだけの存在なので。そこはもう、もしかしたら、あの人たちには必要のないスキルなのかもしれないけれど。本当に自分や自分の家族、自分が大好きな人が何か問題を抱えることになってしまった時に、その人たちを解放してあげたいなと思った時にどうしてあげたらいいかというと。躁と鬱というのがあって、そもそも人間は躁と鬱の振れ幅で生きていますよね。
健全的な建設的な振れ幅と、病的な振れ幅とがあって、しかも、躁と鬱とがある。躁はずっと躁になり続けると行きつくところは他殺です。鬱はいきつくと自殺なんですね。他殺は、なかなかしづらい。自殺もしづらいけれど、意外にできちゃう。だから、他殺の件数よりも自殺の件数のほうが多いわけでしょう。ということは、人の問題としては、鬱のほうがより社会的問題として考えたほうがいいわけですよね。で、基本的に両方とも心の経絡の感情で成り立っている。喜怒哀楽でいうところの喜です。ハピネス。ハピネスというのは、依存の経絡です。欲を満たすためには、その欲を満たすための行動をしないといけない。行動を生み出すためにはカロリーを使うから、そのカロリーを使うという面倒くさいことをする。いやだなと思う気持ちよりも、やりたいなという気持ちが勝たなければいけないんですね。要は欲を満たすわけです。欲を満たしたい行為がハピネスです。アイムハッピー。ハッピー過ぎるとどうなるかというと、ヒッピーになっちゃうんです(笑)。クスリやりすぎるとヒッピーになっちゃう。ほんと、気をつけないと、みんなヒッピーになっちゃう。CBDとかね。ちなみに、CBDばかりやっていると女子化します。あれは、どちらかというと女子会用のアイテムです。マリファナは。
ちなみに、たとえば「はあああー」とか「ちぇっ」とか「ちっ」とか、そういうのは全部セルフ応援で、人にどれだけ自分がイラついたかとか、自分がいかに大変であるかを伝えたい行為。その心の経絡をちゃんと刺激して、まずやめないといけないですね。ただ、やめればいいだけです。何か、与える必要もなければ、刺したり叩いたり殴ったりしなくてもいいんです。何もしなければいい。ネガティブリージェント(※と聞こえたのですが、ネガティブで君臨、支配する、というような意味でしょうか?それとも私の聞き間違いでしたら、次回訂正をお願いいたします)です。それは治ります。そうすると、疲れがとれるんです。疲れなくなる。人に、理解を求めるためのジェスチャーやポーズが一個減るだけで1カロリー減る。鬱を治す方法では、ボディとマインドとソウルと、それぞれに鬱を治す方法があって。たとえば、身体をハッピーにするためには、運動ですよね。これは間違いない。これを間違っているという人がいれば、お酒を飲みながらお話したい。身体の治療というのは、そもそも身体を動かせばいいだけなんです。ただ弓矢が刺さっていたり、斧が突き刺さっていたりすると、それは身体が痛いから治療しましよう、病院に行きましょうという話です。でも、それは治ったら運動しましょうということです。だから、運動できるためにいるのが医者なんです。
身体というのは、自分で勝手に治るわけだから。治るためには運動が必要なわけだから。
自分で運動できないから、壊れているから医者が必要なわけで、医者は身体を治すためにいるわけではありません。運動させるためにいるんですね。150年後の医者はみんな、そう自覚しているんじゃないですか。身体はそうやって治すけど、そもそも精神的な問題というのは、科学では精神はないって定義されているわけだから、測れない。測る術がない。存在しない。
C 存在しないとされているものをどう治すのか・・。
M 科学的には存在しないものだから、進歩がないんです、精神科だけは。戦前、その前、もっと前の紀元前の前くらいの古いことをずっとやってきている、精神科の医学というのは。医学ですらない。あんなのは、人を引きこもりにしているだけです。
では、薬を使えないのなら、彼らは何を使うか。鎖を使います。薬と鎖は、一緒です。ほんとにそのまんま。彼らは何もしていない。薬をあげて売り上げを上げてハッピーになっているだけです。ヒッピーだから。じゃあ、どうやって人の心を治していくかというと、そもそも心を刺激してあげればいいだけなんですよね。満たしてあげる必要がある。それは、ネガティブじゃ駄目なんです。Positively enforcement(※と聞こえましたが、合っていますか?)ですね。ということで、魂が好きなこと。要はスピリットが好きなことと嫌いなことさえ理解すれば、それは治せます。魂が好きなことは、ソーシャルです。魂が嫌いなことは強制されることです。これ考えてみてください、精神科医に入っちゃったらどうなりますか。
C 強制しかないですね。
M 強制しかないです。そして社交性は0です。治るわけがない。治らないカラクリがそこにあるんですが、マインドについて話をすると、マインドの好きなことというのは学ぶこと。そして、記録すること。嫌いなことは、散らかすこと。要は記録が散らかり過ぎると駄目なんです。整理整頓されないと記録が活かされないんですね。だから、整理整頓するとスーッとするでしょう。やるのは、チョー嫌だけど。やった瞬間に止まらなくなったり、整理整頓が終わった瞬間からスーッとして、また散らかし始めるんですね。
C 散らかっていると自分が嫌いになりますよね。
M それは基本的には、マインドのほうの感情の希釈(起伏?)が、かなり激しいということですよね。ボルテージがそこに集中しているわけです。気を休めて下さい。
C わかりました。恥ずかしい(笑)。
M 身体はさっきいいましたね、動かすこと。身体が嫌いなことは、本来は怠慢なんです。怠慢ということは休むことではないです。休むということも動くこととイコールなので、ちゃんとしっかり寝ている時、人間は運動会してますよね。バタバタバタバタ動いて、ひっちらかして、イビキかいてウルセーよと。騒がしい。寝ている時ほど人間は動いている。寝ていることイコール休んでいるのではないんです。身体はしっかりと活動しています。
C 夢も。
M 夢の場合は、身体と魂と心の全部の混合なんで難しいんですけど。
では、身体が嫌いな怠慢。それは、休むべき時に休まないこと。動かないといけない時に動かないこと。それは、どういうことかというと、欲を満たすための結局は依存なんですね。依存が進むと、たとえば、アルコール依存の場合、仕事がお酒だからチョーラッキーですけど、もしも、これが工事現場の人でしたらどうしますか。工事現場の人が飲んで仕事するでしょう。最後は血を吹いて死にます。もしくは、仕事に行かなくなる。これは依存のひとつですね。アルコール依存のほかにもいろいろな依存がありますね。薬物依存もそうだし、恋愛依存もそうだし、親子の異存もありますね。そういうのは、リレーションシップの依存なんですね。そういった依存を満たすために身体が怠慢をすることを嫌うわけです。それが進むと身体というのは、どんどん破壊されていきます。改善できないんですね。身体は、さっきの3つでいうところの奴隷です。奴隷がたくさん動いて、王様である魂というものは、楽をする。真ん中にいる中間管理職であるマインドさんは、身体が壊れないためには休めといって、ある程度身体を管理しているわけです。体調管理。その三つのうち一番上の魂が楽をして、身体が苦労すること。それが人間がもっとも健全性が高い活動をしている最中ということで病気も治りやすいですし、子どもも作りやすい時期です。これが逆転してしまっている人がいますよね。身体が怠けて頭ばかり働いている。いっぱいいます。それが普通になりつつありますね。それを少し変えてあげればいい。それを変える方法がJUGAHです。JUGAHは身体をしっかりと動かして、でも、歳をとらずにセルフメンテナンス、セルフ整体をしながら自分を癒しつつ、身体を動かすことができる。医者いらずのスポーツと思ってください。
それができるから、魂もゆっくり休めて、マインドも安心していられるわけです。JUGAHがそこに入ってくるわけですね。ボディ、マインド、ソウルの好き嫌いをわかることによって、鬱を治せる。
C ボディの鬱というのは、動きたくないとか、そういうことですか。
M身体と心というのは、マッチングしているわけですよね。たとえば、体育坐りしてそのままいくと身体というのは曲がってきますよね。で、曲がってくると腰が曲がりますよね。それで時間が経過すると、立つときにヨッコラショ、となるでしょ。それが身体の鬱。要は身体が動かない、諦めている。諦めているか、もしくは焦っているか。もっとも身体にとって不徳なものですね。諦めと焦り。なぜかというと、それは不安を呼びます。
C ああ、そうですね。そして不安は怒りを呼びますね。
M それは、五行なんですけどね。あとは欲を満たすために今日は休んじゃおうかなあ、とダレちゃったり、飲み過ぎて二日酔いになっちゃったりとかすると鬱っぽくなりますよね。でも、その人は鬱ではないんです。身体の鬱なんて、身体を動かせばシャキーンとするわけですよ。本当の鬱というのは何か。全部本物だけど、身体は奴隷でしょう。奴隷の問題なんて、どうだっていいわけです。より根が深いのは、中間管理職の心の問題のほうがさらに大きいですよね。たとえば、奴隷の不始末は上の人が始末できる。でも、上の人の不始末は、下の人はできないんです。奴隷が一番強いという世界なんて、ゲームの世界ですよね。
身体というのは常にいちばん最下層にいて、どんどん汗をかいて、動き続ける永久器官なんです。それを管理しているのがマインドで、マインドの鬱というのは、ちょっときつい。身体をいくら動かしても「はあーっ」ってなって、隣で好きな人からいくら「頑張ってね」と言われても「あなたは私のことが何もわかっていない」「理解されていない」と思ってしまう。そういうふうに頭がシフトしてしまうので、そもそも、人の助けが響かないんですね。
C 一番きついですね。
M そういう時に何をしたらいいかというと、さっきの好き嫌いを使って、そいつの頭に銃をつきつけてやらせれば、万事解決します。本当です、これ。
C 脅す。
M 脅す。一緒にやってあげるのが一番ですよね。魂の鬱はどうかというと、こうなってくると、はっきり言いますけど、躁鬱だったら人を殺すか、もしくは自分が死ぬかでどっちかなんです。そこまで行くのが魂の鬱なんですが、そこまでいくと身体も心も機能しなくなって、何もできなくなる。もう動かない。ベターっとして、立てといっても立てない。銃つきつけても、殺して下さいって。
C 生きながら死んでいる状態ですね。
M そうです。その時に、どうすればいいのか。魂の好き嫌いを思い出してください。魂が喜ぶことは、ソーシャル、社交性です。べちゃーっとなっている人に銃をつきつけて、ほら立てといっても立てない。そういう人は、担いで、どうせ抵抗もしないですから、そいつに挨拶させるんです。世の中にある、自分以外の魂、もしくは現象に対して挨拶させる。もしくは、自分を紹介させると、そこが社交性の第一歩として、何かが光るわけです。こっぱずかしいわけですよ。一番最初に、はじめてカラオケ歌いに行った時、あなた歌いなさいよとマイクを持った、あの瞬間のあの気持ちがちょっと芽生えるわけです。それが魂の鬱のお薬になるわけです。簡単な話、人に向かって挨拶できるような魂の鬱は、治すのは簡単。一緒に散歩に行けばいいだけ。でも、それさえもできない、人の目も見られない、じゃあ何をするかというと虫とか鳥とかに挨拶させる。
C 涙出そうなお話です。関りが生じるということですね。
M 関りです。それさえできない人は、何をするかというと、葉っぱですよね。葉っぱ触らせて、ありがとうねとか言わせるんです。挨拶。それさえもできない人は、もう空の雲や太陽を見させて、眩しいだろって。「目、つぶったよね、はい、自分の瞼に感謝!」って、大きな声で言ってあげれば、その人は自分が言ったと勘違いして、ちょっとホッとしたりする。その瞬間に、「あ、蟻が来た、はい、挨拶」って、やらせていくと、最終的には人に挨拶できるようになる。そうなったら簡単です。実際にそれで鬱を治したんです。
C だから人は、弱ると自然の中に入っていくんですね。
M かもしれないですね。セルフケアのひとつとして学んでいるんでしょうね。
もっとも簡単な社会に出るということなんでしょうね、森というのは。だからも自殺者も森に惹かれるでしょう。とにかく、それが精神世界のひとつの法則みたいです。

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